コロナがきっかけで、余命が数か月だったら….という思いが真に迫られた。
もしも、余命が半年だったら、どんな事をしたいかな?
そんなことを考えて、やりたい事をリストアップした過去もあった。
けれども、もしもの前提と、本当にそうなるかもしれない恐怖の中では、余裕が全然違う。
これだけは何としてもやらなければ、死にきれない。
大変なことを忘れていた。
何とも言いようのない焦り。
想像しかできないけれど、医者から余命宣告されたら、こんな感覚に近いのではないだろうか。
他のことは、もうどうでもいい。
何しろもう時間がない、という焦りでいっぱいである。
今までだったら、仕事もしていないのにピアノなんて弾いてていいのかな?
とか、なぜか後ろめたい気持ちになりできなかった。
幸いに消音機能付きなのだから、外に聞こえない音でもできる。
それなのに、見えない誰かを気にして、世間体も気にしていた。
でも、それどころではない。
死ぬとき後悔するとはっきりわかった時、世間体なんてどうでもいいと思えた。
それから半年後に、弾きたいと思っていた曲は、何とか弾けてるかなくらいのレベルではあれど、弾けるようになった。
その時はもう、間に合わないという思いはどこかに消えていた。
ひたすら、必死に毎日を過ごしているうちに、不安も感じないほど集中していた。
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